20年以上昔に行った『歴史総合』の授業
「なぜ歴史総合なのか」という理由の表層的なこと、例えば『近代以降の学習が~』だの『日本史を必須とすることが~』だのって話は大手予備校や受験業界のサイトに譲ります(例:河合塾)。ここでは、なぜ歴史総合なのか、その中身をお話いたします。
まずは、少し話がそれますが、なぜ20年以上前に行った『歴史総合』の授業なのか、その経緯をお話します。意味も分からず新しい課程を学習するのは苦しいかと思います。なぜそれを学ばなければならないのか、そのヒントになれば幸いです。
国際化時代の異文化理解
異文化適応という言葉があります。リスガード(1955)という人が新しい環境下での人間の心理状態に起こる異文化適応過程をU字型曲線で表し、『Uカーブ仮説』を提唱しました。これは外国人留学生を対象に日本語教育を行う日本語教師たちが学習する内容で、人生経験を積んでいけば、何も外国人の異文化適応だけでなく普通の人間と人間の関係にも当てはまることに気がつきます。
私の場合、日本語教師になって、その意味を実感しました。
この曲線を日本に来た外国人留学生に当てはめると、まず、来日当初は見るもの聞くこと何でも新鮮で、ワクワクした気持ちになります。それが『ハネムーン期』です。勉強のモチベーションも高く、意欲的に行動できます。
しかし、異文化の中に曝されているとその気持ちは徐々に落ちていき、カルチャーショックを受けた『ショック期』に入ります。ワクワク感は無くなり、日本という異文化を憎悪したりします。外国人留学生が犯罪に走るとしたら、このタイミングがもっとも多いです。そして、それを受け入れられた留学生は徐々に日本文化に適応していき(回復期)、最終的な『安定期』を向かえます。このU字曲線はそれを表しています。
まぁ、こう考えると別に外国人留学生だけでなく人間社会全体に言えることでしょう。恋人同士、夫婦生活なんてのもそのまんまですね。
私が日本語教師になったきっかけは、下劣ながら、とても可愛い中国人女性との出会いでした。めちゃめちゃ可愛くて(相手はフィアンセがいた)、彼女と話がしたいと中国語を勉強しました。そして、彼女の出身地が四川省成都で、『三国志』が有名な都市でした。恥ずかしながらそれまで三国志なんて読んだこともなく何も知らなかったのですが、彼女とお話がしたい一心で三国志を読み、例外なく諸葛孔明のファンになりました。
そう。
中国の大ファンになったんです!それがきっかけで日本語教師のスキルも身につけてやろうと考えました。そして、採用してくれた日本語学校も、日本語教師という職も、ただのスキルアップのつもりでしたので、半年で辞めるつもりでした。けど、気がついたら30年近くこの業界と関わることになりました。
中国人だけでなく外国人との出会いがあまりにも新鮮で、はじめのうちはのめり込みました。上の曲線で言う『ハネムーン期』を楽しんでいたのです。
しかし、続けていくうちにショック期へと落ちていきました。彼らと付き合ううちに、その発想、習慣の違いが嫌になり、私も例外なく『嫌韓』『嫌中』になりました(笑)。
正に、U字曲線のショック期を迎えたんです。
韓国人、中国人留学生が日本について悪く言ってきても、私自身、何も言い返せず、ショックで嫌になりました。大抵はここで嫌になって辞め、残りの人生『嫌韓』『嫌中』のまま人生を歩んでいくでしょう。けど、私自身、喧嘩っ早い性格から、このまま辞めるか!とばかりに彼らの国について研究しました。
当時は、まだインターネットが生まれたばかりで、ネットの情報等あてに出来ません。そこで、東京神田神保町のマニアックな店に行き、中国・韓国の文献を読み漁りました。また、夜中にやっていた彼らの国の衛星放送のニュースも欠かさず見ました。そして、反撃をするようになって行ったんです。
韓国人留学生『日本人の犯罪は極めて残虐です。これは日本人のDNAに関係があると聞きました。先生はどう思いますか?』
私『韓国の『至尊派』の事件はご存じですか?未成年者も含む若者グループが金持ちを誘拐して、なぶり殺しにして、その肉を食べた事件です。殺した人間の肉を食べるなんて、これは韓国焼肉文化のDNAですか?』
韓国人留学生たち『(一斉に激怒)!』
韓国人留学生『そんな事件は特殊です!彼らは全員、とっくに死刑になりました!』
私『ほほぉう。韓国という国は未成年者を死刑にするような国なんですね?』
こんな調子でしたから、そのうち『右翼がいる学校』という評判が流れ、校長に注意されました(笑)。
そんな中、ちょうどショック期から適応期へと転換を始めた頃、外国人留学生の大学入試が大きく変わりました。その入試改革がすごかったんです。
外国人留学生が日本の大学に留学するために、日本留学試験という、日本人でいうなら共通テストのような一斉テストが新しく設けられました。その日本留学試験の試験科目の中に『総合科目 』という、社会科系の科目がありました。そこで、本業の学習塾で社会科を教えている私が、日本語学校で、その総合科目 を教えることになりました。
反撃できるスキルを身につけた私としては、コテンパンにやってやろう!と、意地の悪い気持ちで臨みました。
けど、結果は違いました。
そして、悟りました。
この指導は外国人にやるだけでなく、日本人に対してこそやるべきだと。
総合科目 と言うのは、日本の大学で学ぶのに最低限の社会科系の知識と思考力を測る科目でした。
そして、そこで出題される歴史分野(地歴)は、日本史と世界史の近代以降でした。
これを知った時、もともと社会科の先生でしたから、試験実施機関の意図がすぐに分りました。
また、大学によっては、江戸時代以降の日本史を試験に課すところもあり、日本史では近世以降を授業しました。
日本語学校で身につけたのは、絵カードというカードを使用して指導する方法です。
当然ですよね? 言葉の通じない外国人に教えるのですから。
明治の志士たちを写真にし、歴史的場面を写真にし、ホワイトボードに貼って授業をしていました。
もともと歴史好きで授業もドラマチックにストーリーとして教えて来たので、写真を使い、学習者の日本語能力に応じた説明に気を付けて授業しました。
文章が長くなったので、次のページへどうぞ。
カルチャーショックから始まった『歴史総合』の授業。